■【憲 法】(シリーズ・第1回)

 改憲派は「憲法は時代に合わなくなった」と主張していますが、本当の狙いは「第9条」にあるのです。
 環境問題や公共の福祉と人権、地方分権の観点から改憲の必要を述べていますが、これらの問題は、11条(基本的人権の享有)12条(自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止)、13条(個人の尊重と公共の福祉)25条(生存権・国の社会的使命)および第8章(地方自治)の理念を生かす法整備と運用によって、憲法に明記しなくても実現できるのです。
「憲法調査委員会設置推進議員連盟」が発表した、憲法改正の発議に関わる「国民投票法案」について紹介します。
□提出理由:憲法改正についての国民の承認の投票に関する手続きを整備する為

□国民投票の期日:国民投票は、国会が憲法改正を発議した日から起算して60日以後90日以内において内閣が定める日。ただし、衆議院総選挙又は参議院議員の通常選挙の期日その他の特定の期日に行う旨の国会の決議がある場合には、選挙の投票日に行う。

□投票用紙:憲法改正に対する賛成又は反対の意志を表示する記号を記載。

□投票の方式:賛成するときは○の記号を、反対するときは×の記号を自ら記載して投票箱に入れる。

□国民投票の効果:投票の結果、憲法改正に賛成する投票数が有効投票の総数の2分の1を超える場合は、当該憲法改正について国民の承認があったものとする。

 ■【憲 法】(シリーズ・第2回)

 ここにきて、いくつかの政党間では加憲、論憲、創憲、改憲などなど・・・・・"かまびすしい"限りです。
たしかに一般論としては、憲法について議論することは大いに結構なことです。 
問題は、改憲派のネライが「9条改憲」にあり、とりわけ憲法前文を勝手にネジ曲げて解釈するような"戦争知らずの戦争屋"の政権の下での憲法論議が危険な方向へ突き進むことは必至です。
もちろん"憲法は不磨の大典ではない"わけですから、私たちは時代に応じて改正することを否定するものではありません。
 「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」の三原則からなる世界の中でも先駆的な役割を持つ日本国憲法を堅持する政治的状況であれば、条文を現代用語風に手直ししたり、部分的に「補強」「修正」することにやぶさかではないのです。
 しかし、国会議員の多くが「9条改憲」の意志を持っているなかでは、これに与することはできません。
 とはいえ、すでに「国民投票法案」の準備が進められているとき、私たちはただ「反対」だけでなく、「憲法を守る」宣伝と運動を強力に進めることが必要です。
 「国民投票法案」のことについては、前号で法案提出の動きについて紹介しましたが、これに対しては「許すな!憲法改悪・市民連合会」253人の個人、176団体が法案の提出に反対することを発表し、運動を展開しています。

 ■【憲 法】(シリーズ・第3回)

憲法は押し付けられたか(1)
 改憲の理由の一つとして、日本国憲法はGHQ(連合国総司令部)・アメリカに押し付けられたものだから、日本人による自主憲法に「改正」しなければならないと言われています。それでは、まず問いたい。「どんな悪い憲法でも日本人がつくったのであれば良いと言うのか」と。
 「憲法は押し付けられたものか」ということについて、制定過程を検証することが大事です。確かに日本国憲法は、占領と言う特殊状況の下で制定されたのは間違いありません。しかし、制定に関する諸文献によると、必ずしも占領軍から一方的に押し付けられたとばかりはいえないのです。
 もともと、日本は第二次世界大戦に敗れ、ポツダム宣言を受け入れて降伏し、アメリカの占領下で国家再建をはかることになりました。ポツダム宣言は戦略戦争の原因であった軍国主義勢力の除去、戦争を行う能力の清算と軍隊の完全な武装解除、民主主義と基本的人権の確立を要求しました。これらのことを実現し、日本が生まれ変わる為には、国家のあり方を定めた明治(帝国)憲法を根本的に改めることが必要でした。アメリカは占領を開始すると同時に、憲法の改正を指示しました。

 ■【憲 法】(シリーズ・第4回)

憲法は押しつけられたか(2)
 GHQ(総司令部)の指示をうけて、1946年2月、日本政府がつくった改正憲法案は、明治憲法の字句を修正しただけのもので、ポツダム宣言が日本に実現を求めた内容を完全に無視していました。アメリカは政府案を全面的に拒否し、代わりにポツダム宣言を反映した総司令部案を最大限考慮した新たな案を作成することを求めたのです。

当時、各政党や民間団体、個人の憲法草案が出されていました。民間団体や個人の草案は、有識者が中心で、諸外国の憲法の思想的背景などを十分に吟味した上で、日本の内情に可能な限り適合させる完成度の高いものが多かったようです。
 そして憲法研究会などの草案内容と政府案とは、かなりかけ離れたものになっていました。総司令部草案には、日本の憲法研究会などの草案内容が大幅に盛り込まれているのです。このように見ると「日本政府案の拒否」=「日本国民の希望の拒否」とはいえないのです。

仮に日本国憲法が「押し付けられた」としても、そのことが改正とどう結びつくのでしょうか。
 憲法が保持するに値しないほど劣悪なら、それこそ自主的に憲法を新たに制定する必要があるかもしれません。
 しかし、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を謳った、世界に冠たる内容を持つ日本国憲法であれば、制定の技術論的な論争より、憲法思想を評価すべきではないでしょうか。

 ■【憲 法】(シリーズ・第5回)

「9条」と改憲論(1)
 改憲派は、改憲の理由をいろいろと述べていますが、真の狙いは第9条の「改正」にあることは前にも指摘したとおりです。
日本国憲法第9条[戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認]

@ 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。

A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この第9条について、改憲派は「こんにちの国際情勢からみて、非現実的な空論」だと主張しています。
 以前は、社会党・総評を中心とした護憲勢力が、それなりの力を持ち、国民世論が背景にあったことから改憲派も「9条改正」を露骨に主張していませんでした。
 日本は、第2次世界大戦までの朝鮮や中国に対する植民地支配、侵略の歴史を、敗戦による反省のうえに、日本国憲法前文と第9条によって、世界にむかって「平和国家」たる事を宣言したのです。
(日本国憲法は、1946年11月3日交付・ 1947年5月3日施行)・・・・ 次号に続く

 ■【憲 法】(シリーズ・第6回)

「9条」と改憲論(2)
 日本は憲法で「平和国家」を宣言したにもかかわらず、1950年の朝鮮戦争勃発に伴い、占領下でアメリカの指令により、警察予備隊が創設され、続いて保安隊〜自衛隊が設置されました。(1954年)
 それからは自衛隊の活動は、憲法の制約をうけながら憲法解釈――"なし崩し改憲"といわれる状況で行われてきました。
 その後、91年の湾岸戦争以降「普通の国」とか[国際貢献]という理由付けで、92年のPKO等協力法の成立から有事法制、イラク特措法など、つぎつぎと既成事実を積み上げて改憲への体制づくりを進めてきています。
 一方、戦争を知らない世代が、社会の中心に位置する世代構造のなかで、国会では憲法調査会を設置して世論操作も行っています。
 いまでは、小泉首相が[自衛隊を軍隊として認めないのはおかしい]と公言するまでになっています。
 改憲派は「9条改正」――A項の削除をストレートに主張しはじめ、集団的自衛権の容認や軍隊の保持を憲法に明記すべきとの意見もあります。
 しかし、こんにちのイラクをはじめ国際情勢をみても武力によって「平和」や「豊な社会」がつくれないことは明らかです。      

 ■【憲 法】(シリーズ・第7回)

「9条」と改憲論(3)
 "日本国憲法サン、60歳定年ですよ"といった侮辱的表現で改憲を煽る雑誌もあります。
そこで、改憲論者へ問う意味で、五十嵐敬喜・法政大学教授の主張を紹介します。
 日本はもはや戦争を行う必要性も可能性もない国となったということ、また、世界・人類が抱える課題は軍事では解決できないことを確認することである。
 有事に対する備え方に対して「丸腰論」からはじまって敗北主義に到るまで、これまでさまざまな拒否反応が見られたし、これからもそれは続けられるであろう。
……このような「弱腰論」がダメというなら、それではどのような対応を準備すれば万全なものになるかということである。
 戦争論の鉄則によれば、侵入の阻止を含めて、敵に勝つには敵よりも強い軍隊をもたなければならない。
 現在の最強軍隊はアメリカ軍であり、それ以下の軍隊でもほとんどが「核」武装している。
 日本がこれらの敵に対応するために、集団的自衛権で理論武装し武器を持つとして、自衛隊は一体何発の核を持つのか、あるいはアメリカの基地を撤去してアメリカと対置し、それを超える軍隊をもつのかどうか。
 また、それは一体どのような軍隊になるのか、改憲論者は答えなければならない。

 ■【憲 法】(シリーズ・第8回)

「9条」と改憲論(4)
戦争のありそうな情勢を望むものたちは誰か
 つい先頃までは、9条「改正」を目論み
ながらも「時代に合わなくなった」など、カモフラージュした改憲論を展開していました。
 ところが、自民党の小泉総裁―安部幹事長
体制になってからは、露骨に9条「改正」を前面に出すようになりました。
 これも国会において改憲派が多数を占めることによるものでしょう。
 そして、これまでの政府・法制局の解釈を変更して、タブーとされてきた多国籍軍への自衛隊参加を打ち出しています。
 さらに自民党は、2005年の結党50年に向けて改定する綱領に「新憲法の制定」という改憲の方針を明記する動きが出てきています。
 ところで、この背景には“戦争がありそうな情勢を望む”グループがあるからです。
 それは次のように言われています。
@職業軍人、栄達を望み、野心を持つ官僚
A兵器商人、軍事工業家
Bこれらの企業を代言する学者、政治家たち
 新兵器の研究・開発に莫大な資金が国から
出され、法外な利益をむさぼるのです。
 加えて、アメリカのブッシュ政権の強い要求があること――人、カネ、基地の提供。
 それに、アジア諸国に進出している日本企
業を守るための軍事的プレゼンスが必要なのです。

 ■【憲 法】(シリーズ・第9回)

「9条」と改憲論(5)
  現状を憲法に合わせる努力を
 小泉首相は「自衛隊を多国籍軍に参加させる」ことを、勝手にブッシュ大統領と約束しました。
 それを一方的に国会と国民に押し付けたのです。これはまさにファッショです。
よくアメリカの戦争に対して「後方支援」ということが使われますが、戦争には前方も後方もないのです。
 例えば、バレーボールの競技で、前衛、後衛それに控えの選手がいて、それぞれが役割分担をして総体としてチームを構成し、試合に臨むのと同様です。多国籍軍への参加は、政府がいかに詭弁を弄しようとも明らかに憲法違反です。だからといって私たちは単に憲法に違反しているから自衛隊のイラク派兵や多国籍軍への参加に反対しているのではありません。
 戦争によって真に問題が解決しないことは歴史や現状をみても明らかなことです。
 既成事実を積み上げて、なし崩しに「戦争のできる国」にしようとするのが「九条」改憲です。つまり「憲法を現状に合わせる」動きですが、世界に誇るべき日本の「平和憲法」の理念を世界に広めていくことこそ、いま最も大事なことではないでしょうか。
 私たちは、「現状を憲法に合わせる」努力が必要です。

 ■【憲 法】(シリーズ・第10回)

「9条」と改憲論(6)
自衛隊をどうするか
 自衛隊は、今年の7月1日で発足50周年になりました。
 憲法では戦力不保持が規定されていながら、次々と膨張を重ね、今では陸・海・空あわせて23万8千人を超えるまでになり、国防費も、アメリカ、ロシアに次いで、フランス、中国、イギリスと肩を並べる軍事大国となりました。
 東西冷戦下では、ソビエト脅威論、最近では北朝鮮脅威論、テロ対策を煽りながら、有事関連法、イラク特措法に加えて、これまでタブーとされてきた多国籍軍への参加と憲法改正を、首相が堂々と主張しています。
 憲法第99条では国務大臣、国会議員、公務員などは憲法を擁護する義務を負っているにもかかわらずです。
 このままでは、さらに自衛隊は自己増殖を続けることになるでしょう。
 また、自衛隊の増強については、アメリカ政府と日本の軍需産業の強い要求があるのです。
 ただ、私たちは軍事力の増強には反対ですが、
 現に存在する「自衛隊をどうするか」という具体的な政策を示すことが必要です。
 それには自衛隊を段階的に縮小、分割する方法があります。その一つが自衛隊三分割論です。
 つまり、憲法第9条の原則に立って「アジアに銃口を向けない」「平和は平和で創出する」を基本スタンスとして、専守防衛(海外には出ない)、国土災害援助・復旧隊、国際援助隊に分けるというものです。

 ■【憲 法】(シリーズ・第11回)

「9条」と改憲論(7)
自衛隊三分割の姿
 自衛隊の縮小については、いくつかの議論がありますが、そのうちの一つとして三分割にする場合の形について次のような意見があります。
現在の自衛隊要員を三つに分け、
   @警察・消防・海上保安庁などと一体化していく「災害救助・復旧隊」
   A現行の国際緊急援助隊と連携した部隊
   Bそれにスリム化した専守防衛隊とする。
1.災害復旧に徹した部隊
   災害派遣で、自衛隊にも災害復旧活動の体験に基づくノウハウは蓄積されています。
   雲仙普賢岳や阪神大震災の経験をふまえて法改正が進み、自衛隊と自治体の各機関との連携もとれやすくなりました。
2.国際救助隊
   他国の大規模災害やPKO活動、緊急時の在外日本人救出などを担当する。
  海上自衛隊は、基本的には海上保安庁の充実という方向で統合し、一部は専守防衛隊に回る。
3.警察を補強する部隊
   問題は専守防衛ですが、大規模な攻撃という脅威に対抗するのではないのでイメージとしては、攻め込んできた武装部隊を撃退したり、市街地での戦闘で応戦し鎮圧する特殊部隊とする。

 ■【憲 法】(シリーズ・第12回)

「9条」と改憲論(8)
  どこが攻めてくるというのか  北朝鮮か、それとも中国か・・・
 「有事関連法」審議のときもそうでしたが、外国からの武力攻撃に対して[備えあれば憂いなし]といって、軍事態勢の強化・「9条」改憲の主張がなされています。
 「ソ連脅威論」がなくなった後に、北朝鮮や中国の脅威が煽られていますが、専門家によると[どちらもあり得ない。政府も防衛庁もそれを認めている]ということです。
 具体的には次のように分析しています。

北朝鮮;いわゆる「不審船」事件や拉致問題などで恐れる人もある。しかし、兵力
     は110万人を擁するものの、装備の大半は旧式で、燃料や部品の不足から
     大規模侵略の可能性は限りなく「ゼロ」に近い。
中 国;この数年、2ケタで国防費を伸ばしている。人民解放軍の陸上兵力170万人
     で世界最大だが、武器は北朝鮮同様の旧式。
     対空ミサイルを搭載した艦船はなく、艦艇の天敵である航空機に対して無 
     防備に近い。

 日本は海洋国家であり、他国と陸続きで国境を接していない。このことの意味は大きい。

 ■【憲 法】(シリーズ・第13回)

「9条」と改憲論(9)
 ためにする論議
 北朝鮮脅威論で改憲を主張する向きもありますが、逆に北の方からみれば、朝鮮半島を囲むように日本列島の北から南まで米軍基地がひしめいています。このことは朝鮮半島や中国にとって脅威ではないでしょうか。
 20世紀が終わって、冷戦後、少なくとも先進国同士による戦争の時代は終わりました。
「恐怖と欠乏」の見られるほとんどの国や地域で軍事力による民衆支配が行われています。
 現在の国際情勢から言って、日本に対する本格的な武力攻撃が起きることは、まず想定できません。
 むしろ、イラク情勢に象徴されるように、「悪の枢軸」に対するアメリカ軍の先制攻撃のほうがはるかに可能性が高いといえます。
 そして日本は、アメリカの「対テロ戦争」に「後方支援」という形で「参戦」し、さらに集団的自衛権の行使、多国籍軍への参加に向かって突き進んでいるのです。これは何としても食い止めなければなりません。
 すでに学識経験者、文化人による「九条の会」や「憲法行脚の会」が発足しています。
 私たちは、これから幅広い護憲・平和の運動を進めることが喫緊の課題です。

 ■【憲 法】(シリーズ・第14回)

全体を貫く平和主義
 日本国憲法は9条だけだなく、全体として平和主義が貫かれています。
 人権規定では、徴兵制――国民の国防義務規定がない。国会、内閣に宣戦布告の権限はない。
 また、司法制度でも特別裁判所(軍事裁判所など)の設置を禁じています。
 なによりも前文で「全世界の国民が、恐怖と欠乏から免れて平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と「平和的生存権」を規定しています。
 「恐怖」は専制政治、「欠乏」は貧困を意味し、それが政治的不安定を生み出し、戦争へとつながるという認識です。
 獨協大学の古関彰一教授は、憲法前文にある「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」といった表現は、かなりキリスト教的な思想を感ずると述べています。

 ■【憲 法】(シリーズ・第15回)

基本的人権の尊重(1)
 日本国憲法の三原則として「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」からなっていることは前にも触れました。そのなかで「人権」をどのように考えるかということがあります。
 「なぜ、憲法は人権保障に厚いのか」という問題です。それは歴史的にみて「国家」が人間の権利・自由を抑圧し、害してきたという事実があるからです。
 近代以前の、王や皇帝が絶対的な権力をもっていた時代(戦前の日本)には、国は国民を支配の対象としか考えていませんでした。
 そこで「国家権力を制限して、国民の人権と自由を保障する」ことを求める民主的な運動が起こり、それが憲法に定められたということです。
 つまり、憲法は国民の自由を守ることを目的としており、国家機関の権限行使を制限する法なのです。
日本国憲法では
・第11条[基本的人権の享有と本質]
   国民は、すべての基本的人権の享有を妨げない。この憲法が国民に保障する
   基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民 
   に与えられる。
・第13条[個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重] 
・第21条[集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密]
・第25条[生存権、国の生存権保障の義務]
・第26条[教育を受ける権利、教育を受けさせる義務、義務教育の無償]

など、国民の人権に関わる事項が定められています。 
 ところが、いま改憲派によって、第9条と併せて、これらの条項が次々と侵害されようとしているのです。

 ■【憲 法】(シリーズ・第16回)

基本的人権の尊重(2)
 人権には次の3つの分類があるといわれています。
  (1)自由権:国家の国民に対する干渉を排除して、個人が自由に活動できることを保障する。
  (2)参政権:国民が国政に参加する権利を保障する。
  (3)社会権:人間は誰もが、健康で文化的な生活を営む権利を有する。
 このうち、社会権のなかに「教育を受ける権利」(第26条)があります。
第26条
  @すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
  Aすべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育費は、これを無償とする。
   いま、国・地方財政の「三位一体改革」の名の下に、義務教育費国庫負担を削減しようとする動きがあります。つまり、公立の小中学校の教職員の給与は、国と都道府県の折半となっているのを、国の負担額を減額しようと言うものです。ここにも憲法の“なし崩し”改悪の一端をみることができます。
 もし、そうなると地方ごとの財政事情によってアンバランスが生じ、憲法26条でいう教育の機会均等が損なわれることになりかねません。このような動きに対して、ノーベル賞受賞者の小柴昌俊東大名誉教授などの有職者も現行制度の維持を求めています。私たちは人権を守る立場から声を大にして「国庫負担維持」の運動をすすめなければなりません。

 ■【憲 法】(シリーズ・第17回)

基本的人権の尊重(3)
 日本国憲法第26条で保障されている「教育を受ける権利」は、国際的な人権保障の潮流の先駆けを成していると言われています。
 例えば1948年に出された世界人権宣言は、「すべての人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の、及び基礎的の段階においては無償でなければならない。初等教育は義務的でなければならない」と定めています。
 また、国際人権規約にも同じような主旨のことが定められています。
 このように教育の面においても、平和主義と同様に日本国憲法は国際的に先進的な実践の意味を持っているのであって、改憲派が主張するような(表面上はともかく)、内容的には「一方的にアメリカの考え方を押し付けられた」ものではありません。
 そして、憲法の精神に基づいて、1947年(昭和22)3月に教育基本法が制定されました。
 当時の文部省は、その年の5月3日に「基本法」制定の要旨を訓令として発表していますが、そこには「憲法の画期的な改正が断行され、民主的で平和的な国家再建の基礎が確立せられた」、「この理想の実現は、根本において教育の力に待つべきものがある」と述べられています。
 ところが、最近、この教育基本法を憲法と同じように改悪しようとする動きがあります。

 ■【憲 法】(シリーズ・第18回)

基本的人権の尊重(4)
教育基本法について
 前号でも述べましたが、教育基本法は平和憲法の理念に沿って教育の根本的なあり方について、準憲法的な法律として制定されたものです。
 その制定理由は、戦前・戦中の教育勅語という天皇の言葉によって行われてきた軍国主義教育のあり方に対する反省からでした。
 基本法の第1条では「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」としています。
 ところが最近、憲法「改正」と同じように、この教育基本法を見直そうという話になっています。これらの考え方をとる人達は、教育勅語を再評価する発言を公にしています。
 森喜朗前首相は在任中に「日本の国はまさに天皇を中心とする神の国…」と発言し、大きな問題となりました。
 また、民主党の某国会議員は「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」「お国のために命を投げ出すことをいとわない機構、つまり国民の軍隊が明確に意識されなければならない。この中で国民教育が復活していく」といっています。 まさに「愛国心」の復活です。
 憲法とともに私たちにとって教育基本法を守る運動は重要な課題です。
 子どもたちの学力低下が大きな社会問題になっていますが、これも教育のあり方だけでなく、パソコン、テレビゲーム、携帯電話をはじめとしたスピードと便利さのみを追い求める生活環境が、子どもたちに与える影響についても目を向けることが必要ではないでしょうか。

 ■【憲 法】(シリーズ・第19回)

基本的人権の尊重(5)
男女平等について
 憲法には「平等原則」に関していくつかの条文が定められています。そのなかで「男女平等」について第24条で「夫婦の同等と両性の本質的平等」という規定が設けられています。
 第24条[家族生活における個人の尊厳と両性の平等]として、@婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として……とあります。
 ところが、驚くことに女性の改憲論者のなかに、「明日にも直して欲しい24条」と主張するノンフィクション作家がいます。
 その内容は「両性の合意のみに基づいて成立するというのでは、結婚は親に相談しなくてもいいということになる。……戦前は女が25歳、男が30歳になるまでは、結婚するのに親の許可が必要で、家族の結婚には戸主の了解が必要とされている」というものです。
 この発想には「人権」のかけらもありません。
 また、参政権については、第15条[公務員の選定罷免権、公務員の性質、普通選挙・秘密投票の保障]で定められており、20歳以上の人は男も女もみんな選挙権を持っています。
 しかし、戦前には女性に選挙権はなかったのです。だから市川房枝さんを代表とする「婦人有権者同盟」が結成され、「婦人参政権」を求めて運動が行われていました。
 男女ともに参政権を有することになったのは、戦後、現憲法が制定されてからです。

 ■【憲 法】(シリーズ・第20回)

基本的人権の尊重(6)
定住外国人の人権
 国際化が進む中で、日本で生まれ日本で暮らしていても、両親が外国人であるため、日本国民でない人が増えています。そこで日本で暮らしている外国人の人権がどうなるかが問題となります。
 このことについては国際協調の観点から外国人にも一定の範囲を除いて「原則として保障される」というのが定説になっています。
 この問題を考える際に忘れてならないのが、在日韓国・朝鮮人を中心とする定住外国人のことです。定住者の半数にあたる約68万人は在日韓国・朝鮮人の人達です。歴史的にみると朝鮮半島は、1910年に植民地として日本に併合されました。それから第2次大戦後までの間に多くの人が朝鮮半島から強制的に日本に連行され、軍需労働に従事させられました。そして戦後もそのまま外国人として放置されてきたのです。
 このような定住外国人の人権という面でみると、例えば選挙権は国政レベルでは認められていませんが、地方公共団体レベルでは承認すべきだという意見が強く、最高裁も1995年に許されるとの考えを示しました。
 社会権については、現行の社会保障給付に関する法制度では国籍条項は撤廃されています。
 外国人も日本在住の人は税金を納めているわけですからこれは当然のことです。ところが先日、東京都で在日韓国人女性の管理職受験訴訟について、最高裁は東京都の受験拒否を合憲とする判断を示しました。
 これに対して多くの有権者からも「時代逆行だ」との批判があがっています。
私たちは、まさに歴史認識を深め、定住外国人の人権を保障する「社会通念」を定着させるための啓蒙を強めることが大切です。

 ■【憲 法】(シリーズ・第21回)

自民党改憲案の骨子(1)
 自民党は今年11月に結党50周年を迎えるのを機に憲法改正草案をまとめることにして、昨年6月4日に「自民党憲法改正プロジェクトチーム“論点整理“」を明らかにしました。
 現在では、このチームを“草案起草委員会”に切り替えて10の小委員会を設置して改憲作業を進めています。
 この“論点整理”をみれば自民党の改憲の狙いがどこにあるのかが明らかになります。
 そこで、これから数回にわたって、その内容について、高橋哲哉東大教授による批判的な意見などを含めて紹介することにします。

●論点整理その1 新憲法が目指すべき国家像《基本的に国というものはどういうものであるかをしっかり書き、国と国民の関係をはっきりさせるべきである。そうすることによって、国民の中に自然と「愛国心」が芽生えてくるものと考える。》
 本来、国民は自らの国の平和と安定、繁栄や発展を望まない者はいないはずです。
 ここにわざわざ「愛国心」を強調するところに戦前への回帰の発想がみられます。
 戦前には「滅私奉公」「忠君愛国」ということが強制されました。つまり、天皇を頂点とする権威的な秩序に愛着を持ち、前にも述べた教育基本法「改正」と軌を一にするものです。
 心の教育を重視して愛国心を子どもに植えつけようとする愛国主義・国家主義・・・国家と個人の関係についての意識を変えていこうとするものにほかなりません。

 ■【憲 法】(シリーズ・第22回)

自民党改憲案の骨子(2)
●論点整理その2 前文に盛り込むべき内容
※「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」は今後とも堅持していくべき。
 ただし「基本的人権の尊重」については、行き過ぎた利己主義的風潮を戒める必要がある。
 また「平和主義」についても、現行憲法9条の見直しを反映させ「一国平和主義」の誤りを正すとともに、わが国の平和主義が世界の平和構築に寄与し、国を挙げて国際平和を推し進める姿勢を強調するなど修正が必要。
※わが国の歴史、伝統、文化等を踏まえた「国柄」を盛り込むべき。
※社会を構築する重要な単位である家族に関する文言を盛り込むべき。

 ここでは、日本国憲法の三原則を表向きには堅持するとしていますが、実質的に骨抜きにするものです。
 「行き過ぎた利己主義的風潮」とは何を基準に判断するのでしょうか。要は「人権」を抑制しようとする考えが根底にあるといえます。
 また「9条の見直し」を明確に打ち出しており、「一国平和主義の誤り」としていますが、現行の前文には「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と示しています。
 さらに「国柄」を盛り込むとしていますが、ここでいう「国柄」とは、自民党新憲法起草委員長である森喜朗・元首相の「神の国」発言にみられるような戦前の国家主義的な国づくりを目指していると見るべきです。

●論点整理その3 天皇
※天皇の祭祀等の行為を「公的行為」と位置付ける明文の規定をおくべき

 憲法第1章(1条〜8条)では、天皇の地位、国事行為などを規定していますが、この項では天皇の地位を「象徴から元首へ」との思惑が窺えます。ただ、その後の議論の中では、元首化については賛否両論有るようです。

 ■【憲 法】(シリーズ・第23回)

自民党改憲案の骨子(3)
●論点整理その4 安全保障
※個別的・集団的自衛権の行使に関する規定を盛り込むべき。
※非常事態全般(有事・治安的緊急事態、テロ・大規模暴動など、自然災害)に関する規定を盛り込む。
※21世紀において、わが国は国力に見合った防衛力を保有し、平和への貢献を行う国家となるべき。

 アフガンやイラク戦争にみられるように、武力によって平和を築けないことは明らかです。にもかかわらず、平和憲法のもとで、なし崩し的にわが国は世界有数の軍事大国になっています。このことについては、私たちもそれを許したことについて深く反省し、今後の運動に生かしていかなければなりません。
 ここにきて公然と改憲を打ち出し、軍事国家としてこれまでタブーとされてきた集団的自衛権行使にまで踏み込もうとしているのです。
 どの国も戦争にあたっては「侵略」とは言わず「平和と貢献」と称して攻撃をするのは歴史が証明しています。集団的自衛権の行使については、アメリカの強い要求が背景にあるのです。

[集団的自衛権]
 もともとアメリカが「合法的」に軍事行動をとるための免罪符としてつくりだされたものです。一般的には「自国と連帯関係にある他の国家が攻撃を受けた場合に、その国にかかわる自己の重大利益の侵害を理由として、自ら武力攻撃を受けていないにもかかわらず攻撃を加える権利」と解されています。
 国連憲章51条では「……安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間……」と例外的な措置として認められています。

 ■【憲 法】(シリーズ・第24・最終回)

自民党改憲案の骨子(4)
●論点整理その5 国民の権利及び義務
※国の防衛及び非常事態における国民の協力義務の規定を設けるべき。
※政教分離規定(現憲法20条3項)を、わが国の歴史と伝統を踏まえたものにすべき。
※公共の福祉(現憲法12条、13条、22条、29条)を「公共の利益」あるいは「公益]とすべき。
※婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべき。
※社会権規定(現憲法25条)において、社会連帯、共助の観点から社会保障制度を支える義務・責務のような規定を置くべき。

 国の防衛に「国民の協力義務」を規定するというのは、これが進めば徴兵制をも意識したものといえないでしょうか。
 政教分離規定をわが国の歴史と伝統を踏まえて変えるというのは、戦前の国家神道を想起させます。
 公共の福祉を公共の利益にするというのは、公益の名のもとに個人の人権を制限しようとする狙いがあります。24条の見直しは、男女平等を否定するものであり、25条については、福祉について国が国民に保障し過ぎているという発想と言えるでしょう。

●論点整理その6 改正
《憲法改正発議の要件である「各議院の総議員の2/3以上の賛成」を「各議院の総議員の過半数」とし、あるいは各議院において総議員の2/3以上の賛成が得られた場合には、国民投票を要しないものとする等の緩和策を講ずるべきではないか》
 この項は、憲法を変える手続きを簡単にしようとするものです。
 わが国の憲法は、多くの諸外国と同様に改正手続きを厳格にしている「硬性憲法」です。
 国民の価値観に基づく憲法の理念は安易に変更されるべきものではありません。

 改憲阻止の運動を強力に改憲派は「押しつけられた」「時代に合わなくなった」ということを隠れ蓑にして9条を変え、人権を抑圧し、国家統制を強めようとしています。
 最近でも、ビラを配った人を逮捕したり、報道を事前に検閲し、君が代・日の丸を強制する動きがあります。このような事実の積み上げの先に改憲があるのです。
 私たちは日本国憲法が国際的に先駆的な役割をもっていることを再確認し、近隣諸国とともに生きるための安全保障をどうつくるかを議論し、行動することが必要です。
 そのためにも平和憲法を守り、生活のなかに生かす努力をしようではありませんか。

 24回にわたって連載いたしました「憲法シリーズ」でしたが、一応の論点指摘はできたと判断し、区切りをつける意味で、今回で最後にすることにしました。
 長期にわたって執筆していただきました、小早川さんに感謝いたします。
 
 現在、「9条を守る」署名活動をしています。多くの皆さんの署名をお願い致します。
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